私のお株ちゃんの話⑤

2013年にアベノミクスのおかげで1800万に資産が増えてくれたおかげで、日本に帰ってとある会社で非正規社員で働くようになりました。

年収100万程度でしたが、お金を使わない生活が身についていたので何とかなっていました。

お株ちゃんの方は2015年にIPOセカンダリー狙いで「MDV」に投資して、これが大正解。

100株を残して3倍くらいで利確しましたが、残した100株はのちにテンバガーを達成していました。

おかげで資産は2700万まで資産が増えて、私を苦しめていた住宅ローンの残り数百万を一括返済しました。

自分では毎年200~300万お株ちゃんで稼げたら年収100万でもやっていけるよねってお気楽に考えていました。

 

それが、大きく減らしてしまうのが2019年です。

この頃、借金もなくなったので、パパ活もやってのお気楽生活でした。

そして、たまたまネットで、スタディサプリというアプリで勉強している高校生が増えているというのを知ったのですが、スタディサプリはリクルートですから大会社、私の投資の対象にはなりません。

そこで、類似のサービスを提供している会社はないかと目を付けたのが「すららネット」です。

こちらは時価総額が当時数十億。

また社長の湯野川氏がYOUTUBEで「ITで教育格差をなくす」と熱く語っていらっしゃったことに共感し、本決算の発表まじかで、進捗を見る限りオーバーするのは間違いないと1600~1700円でかなり買いました。

そして、決算発表。

私の予想通り前期の数字は見込みより大きく上振れていましたが、次期の見込みがまさかの赤字。

翌日から2日ストップ安を喰らってしまいました。

今、考えても本当あほでしたね・・・

この年は何をやっても踏んだり蹴ったりの年で、2019の年末には1600万まで資産を減らしていました。

と・ほ・ほ・・・

 

#MDV #すららネット

パパ活を始めたきっかけ

2013年、東南アジアのある街で生活していると、若い現地の女の子を彼女にできないかなあという気持ちがわいてきました。

日本がバブルがはじけて、経済的優位性が薄れてきたとはいえ、日本人は東南アジアの国の方から見ればお金持ち。

日本人はよくもてるというのが一般的な傾向です。

私はというと、当時は50歳手前のさえないおじさん。

若い女性と親しくなるチャンスは皆無。

そこで使ったのが「〇〇〇cupid」」というサイト。

〇〇〇は国名で、フィリピンやベトナムインドネシアなど国ごとに会って、現地の人とマッチングできるというものです。

これに課金してプロフィールの写真を見てかわいい子に手当たり次第にメッセージを送ったところ、50%くらいの確率で返信が来てたと思います。

メッセージの半分くらいはお手当ありで大人の関係をという内容だったと思いますが、東南アジアだと40代後半の親父でもなんと普通に彼女ができちゃったんです。

彼女の名前は「susi」、20歳。

毎週のようにデートしてました。

基本的にはカラオケや、ビリヤードや映画です。

susiは過度の偏食でファーストフードや現地の麺類くらいしか食べないという子だったので、あまりグルメを一緒に楽しむということはありませんでしたが・・・

susiとは1年近くお付き合いをしました。

その間、「現地妻にして」とも言われましたが(私は独身でしたが、なぜか「現地妻に」と言われました)、国際結婚はためらってしまいました。

私が帰国する時も空港まで見送りに来てくれて、ずっと泣いてくれました。

今も、私は独身なのでsusiを嫁にもらった方がよかったのかもしれません。

 

そして、日本に帰って、しばらくすると、今までは週一で若い女の子と遊んでいたのが何もなし・・・

お金持ちでもないおじさんの彼女になりたいという若い女の子などいるはずもなく。

そこで、気になったのが「パパ活」です。

あの渡部篤郎さん、飯豊まりえさん主演の動画「パパ活」をたまたま見ちゃったんです。

 

パパ活 #cupid  #フィリピン #ベトナム #インドネシア

 

私のお株ちゃんの話④

2013年、私はとある東南アジアの都市で生活していました。

一応、仕事に関係する語学を身に着けたいという気持ちで移り住んだのですが、学生のころから語学は苦手で、半年も住んでいたら、語学の勉強は二の次で、株式投資にのめりこんでいました。

2013年といえば、アベノミクス相場が始まった年で、自民党政権への期待感から、日経平均が1年で1.5倍に上がるという歴史的な大相場の年でした。

私も運よくJMNCで資金が500万になってたので、デイトレからスイングを中心にお株ちゃんをかんばりました。

ケネディクスだとか、アスコットだとか、不二サッシなんかで儲かった記憶があります。

株と名のついたものなら何でも上がっていたので、株歴10年でもほぼど素人だった私でも勝てました。

そして、この年一番勝たせてもらったのが、アイサンテクノロジーという株です。

GPSを使って測量する技術を持つ会社で、東北の復興工事にお金が投じられるなら、まずは測量から始めるだろうみたいな軽い気持ちで、300円台で買ってたものが、東京オリンピック開催が決定したのち、リニアモーターカー関連で上がりだし、そして自動運転関連でも買われ、急騰しました。

私は2000円を超えたところで売ったのですが、9000円台まで上がったようです(そんなの予想できない~)。

そんなこんなで、2013年は500万を1800万まですることができました。

神様、本当にありがとうございます。

私のお株ちゃんの話③

2003年に丸石ホールディングで90万以上損したのち、やっと働き始めるのですが、仕事といっても非正規で年収100万程度でした。

そのころはお金を極力使わないようにし、お昼ご飯は弁当箱にお米を詰めて、前の日に残ったおかずを少々といったお昼ご飯で、必ず水筒持参というような毎日でした。

東日本大震災が起きた2011年頃は投資に充てられる資産が200万を切るくらいにまでじわじわ減っていて、住宅ローンも残っていたので、40代でもう人生終わってるって思っていました。

 

ところが・・・

2012年に初めてお株ちゃんで大きく勝つことになります。

そのころ、ヤフーファイナンス掲示板の書き込みを読むのが好きで、投資の参考にしていました。

そのなかで、ZENというニックネームで書き込みをされている方がいて、過去のコメントなどを読むと読みが的確だったので、ZENさんが有望だと書き込んだ株を買うという、名付けて「勝ち馬に乗れ戦法」をやっていたのです。

ある日、そのZENさんのトビに銘柄診断をお願いする書き込みがあったのです。

ZENさんは「有望である」という返事をされていました。

その株はJMNCという銘柄でした。

それを読んで、私は何も考えずに 当時、証券口座にあった200万くらいの資金を全部JMNCに投資したのです。

そんな投資方法で勝てるわけがありません。

それが・・・奇跡が起きたんです。

買ってから、1週間後くらいだったでしょうか。

JMDCが急に動意付き、STOP高。

しかもそれが、何日も続き、寄ってもしばらく揉んで、また急騰するということがしばらく続き、数週間で株価は数倍にもなったんです。

JMDCが急騰したのはZENさんのお見立てが的中して、業績が伸びたからではありませんでした。

この2012年にヤフーファイナンス掲示板にミハイル・ジョーダン氏という謎のおじいさんが現れたのです。

本当に不思議なことにこの人物が書き込みをした銘柄が次々謎の急騰を遂げるという現象が起きたのです。

そうです。

JMNCの掲示板にもミハイル・ジョーダン氏が現れたのです。

 

私はこんなに持ち株が急騰することは初めてだったので、早めに利確してしまったのですが、それでも200万の資産が500万以上にもなりました。

多少資金が増えて、安心したのもあって、私はその翌年から東南アジアに語学留学と称して、東南アジアでしばらく住むことにしたのです。

いや~、本当 能天気な私・・・

私のお株ちゃんの話②

 株式投資を始めたころの投資方法は今から思うとざっとしていて、四季報を読んで、なんか期待感のあることが書かれている銘柄をなんとなく買うって感じでした。

株式投資の本は読みましたし、チャートの勉強もしてみたことはあるのですが、さっぱりわからなくて、まあ習うより慣れろかなということで、実践投資にいそしんでました。

 

お株ちゃんを始めたころの一番の失敗は丸石ホールディングという株です。

2003年に足利銀行債務超過で経営破綻し、親会社のあしぎんフィナンシャルグループ上場廃止となり株価が1円を付けた後、そこからマネーゲームとなり、株価は数十円に上がり、それで儲けた一人の個人投資家が名古屋のテレビ塔から100万円をばらまくという事件がありました。

いや~、この頃、まだまだバブルの香りが残っているころだったなあ~

なつかしい。

 

そのニュースを聞いて、ぼろ株でも儲けられるだと思い、前述の丸石ホールディングの株を買ったのです。

確か1株10円を割って8円とかという株価で、1円ぬきができれば10%以上儲かると、本当にゲーム感覚でした。

そんな投機で簡単に儲けられるわけはなく、2004年9月、丸石ホールディングは不渡りを出し上場廃止が決まりました。

私は上場廃止が決まっても、いつかお祭りが起こって上がるんじゃないかと、すぐには売らず、おかげで、とうとう株価は1円に張り付いてしまい、売りたくても売れず、そのまま上場廃止になってしまいました。

株券は証券会社から自宅に送られて来て、今でも部屋の片隅で眠っています。

丸石ホールディングに突っ込んだのは90万強で、まさに全てが紙切れになってしまいました。

ちょうど、このころ私はタイを旅行しており、残りの資金が300~400万程度になってしまい早く帰国して、仕事を見つけなくちゃと思わせられた出来事でした。

 

いや~、今考えたら、我ながら本当に馬鹿なことをしていますね・・・

 

 

私のお株ちゃんの話①    

私がお株ちゃん(株式投資)を始めたのは2002年からです。

それまで大手のメーカーで営業をしていましたが、いろいろあって退職。

私が35歳の時です。

それまで仕事一筋で頑張っていたので、しばらくは働かないと決め、四国88か所を自転車で回ったのち、東南アジア、ヨーロッパを旅しました。

その時に、今までに貯めた貯金と、退職金などが700万程度ありました。

銀行に預けていても、たいして利子もつかないので、当たり前のように証券会社に口座を開設して、お株ちゃんを始めました。

一番最初に買った株は確かあの青汁で有名なキューサイだったと思います。

食品業界は安定しているだろうくらいの意識で買ったような気がします。

ちょうど小泉総理で郵政相場なるものがあり、そばがよかった時期ですが、勝ったり負けたりで、資産は全然増えませんでした。

3年ほど定職に就かず、気が向いたら海外を貧乏旅行するということを繰り返していました。

そのころ数百万の住宅ローンも残っており、確か年間50万円ほど支払っていたこともあり、3年もすれば資金が300万を切っていたと思います。

それから、誰にでも取れる資格ですが、学校に通って取り、その資格を使って非正規社員として働くようになりましたが、年収100万程度でした。

いわゆるワーキングプアですね。

ただ、いうほど労働してませんでしたが・・・

お株ちゃんもよかった時期もあったのですが、あの関東大震災の時大打撃を受け、一時資産が200万を割り込み、その上、住宅ローンがまだ300万程度あるという状態に陥り、人生お先真っ暗という日々でした。

コロナとパパ活

私は旅行が趣味で海外旅行も20か国以上廻ったことがありますが、このコロナで海外はおろか、国内旅行もできない(もちろん、されている方もいらっしゃるでしょうが・・・)状態で、家に引きこもりの毎日です。

といっても、パパ活女子とのお食事くらいは出かける予定ですが・・・

 

最近、コロナによって、職を失っただとか、収入が減ったという人たちの話をYAHOO NEWSなどで見かけます。

私は年収100万程度の非正規社員なのですが、仕事自体はコロナ禍でも例年通りいただけており、また、実体経済とはかけ離れて株式市場が上昇していることから、去年1600万の資産が現在4000万を超えております。

株式投資をしていて、本当に良かったと思っています。

 

昨今、労働でお金を稼ぐということが本当に難しくなっている気がします。

パパ活女子によればイオンなどで働いても時給850円くらいだそうです。

20歳のかわいい女の子が時給でたった850円!

もう負け組確定のおじさん、おばちゃんの時給850円はわかりますが、若さ溢れる優秀な方が働いて、こんなもんですか?

ただでさえ安い時給なのに、コロナでアルバイトがなくなっただとか、日数を減らされたといった若い女の子がパパ活を始めるという現象が見られます。

パパ側のおじさんの立場からはありがたい環境といえるかもしれません。

私はこうした困っている若くて、かわいい女の子をパパ活を通して、微力ながら支えていきたいなあと思っています。